融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論
あけましておめでとうございます。
新年早々意識の低いわたしが、会社の人の奨めで読んだ本の感想メモなどを書いていきたいと思います。
融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論
この本です。
- 作者: 渡邊恵太
- 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
- 発売日: 2015/01/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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デザインの話でよく聞く
「デザインはアートじゃなくて問題解決の手段」
っていうのがありますが、ソレを大前提として、 「結局何なのよ。今の御時世のデザインて何よ?」 と言う部分をより突っ込んでわかりやーすく書いてくれてる本です(雑
全章通して、心理学とかに基づいた「人とデザイン」について書かれておりまして、 少々取っつきにくいかなと思って読み始めてたんですが、実際のところ 「あ~なるほど、たしかにこういう視点で物を見るとデザインする上での重要な部分を見落とさないかも」 とすら思えてきます。あと他の本読みたくなる。
本来は章ごとに感想を述べていきたいんですけど、前後が結構密接に絡み合ってて区切って説明しづらいので、 ざっくりメモと感想を交えながらつらつら書いていけたらと思います。
<もくじ>
第1章 Macintoshは心理学者が設計している
第2章 インターフェイスとは何か
第3章 情報の身体化ー透明性から自己帰属感へ
第4章 情報の道具化ーインターネット前提の道具のあり方
第5章 情報の環境化ーインタラクションデザインの基礎
第6章 デザインの現象学
第7章 メディア設計からインターフェイスへ
第1章ではAppleのMacOS、iOSなどのGUIの設計などがどういう理由で作られてるのかという考察から、 「人間はどのようにものを見て、使っているのか」「端末がPCからスマホやタブレットなどへシフトして行く中での体験のデザイン」などを紐解いてくれてます。
この本、「メタメディア」という言葉が終始登場するんですが、初めて聞きました。
メタメディア=何にでも見立てられる自由度を持ったコンピュ ータの本質
コンピュータ=道具ではなく、コンピュータにインストールされたアプリなどが道具でありメディアになり得るもの。
というような解釈で読み進めていくとなんとなく理解できますw
第2章からでてくる「道具の透明性」とはなんぞやと思いましたが
「金槌を持って釘を打つ時、金槌を持ってることを意識してますか?意識は釘を打つ事に向いていて金槌を持つ事に集中はしてないよね?この瞬間、金槌と言う存在はあなたにとって透明なのですよ、金槌までがあなたなのですよ」 っていう話で、「ああ、確かに、デザインする上でコレ意識しないとダメだよね、こういう体験させないとだよね」っておもいました。
- 「 よくやる」ことには無意識ながら人間が環境から価値を汲み取っており、それがデザインのヒントになる
- あることを十分に理解すると、人間はそのものを意識しなくなる。
- インター フェイスの設計= 道具や画面の設計ではなく、「人々のいつもやっていること」をつくる日常の風景の設計
↑で書いている「金槌を持って釘を打つ」が自分の意図した行動で「自分で手を制御して金槌を持ち腕を動かして釘を打つ」ことができているとそれが自己帰属感だとおもってます。
- 著者の開発したVisualHaptics、味ペンと言うシステムで、画面の中のカーソルに「感触」を与える実験が面白くて、実際に触ってみたい。。
- 制御できているからこそ、「自分の」手足という考えはなるほどと思った。
- 道具の透明性、自己帰属感は「自分が制御できる身体の範囲/能力の拡張」としてデザインを考えられる気がする。
第4章、ビッグデータのくだりでインターフェイスは「 人間の暗黙知を形式知に変換する」といっており、一つの例として紹介されている「喉が渇いたことをセンシング」する例が面白いです。
- ググるは易し、行うは難し
- 情報の道具化は「情報をデコードする作業の支援」のためのインタラクション
- ↑をすることによって人は記号化された情報を見ることなく実体⇔実体のコピーができる
- 良いシステムは、人にとって楽しく、使い続けたいを思わせる魅力を持っていることが必要。
第5章はインタラクションデザインについて語られてます。普段自分がデザインをする上で「常に初心者である意識」を念頭に置いて考えてて、それをうまく説明できててなかったのですが、そのへんが理解できました。
- 人の活動とメディアの関係を設計する事こそが「インタラクションデザイン」
- インタラクションデザインの目標はPCやスマホを使っているという意識がないまま直接コンピュータやインターネットの恩恵を受ける”透明性”をどうやって実現させるか
- "動き続ける人間"に対し「動きを阻害しないこと」は、生活の流れに融け込み、それが人間の意識にとっての透明性を得るデザインになる。
- 人間は制御出来ない余暇時間を持つと、興味が高くない情報であっても自らそれを見ることを選択する。
- シングルインタラクションからパラレルインタラクションへ
プレユーザー=カメラを買って家においてある、かばんに入れて持ち歩いている段階の人 ユーザー=実際にそのカメラを構えて写真を撮る人
- サービスはユーザーの生活のごく一部でしか無い。人々の食事時間や入浴・睡眠時間はサービスのライバルであり、共存していかなければならない巨大なプラットフォーム
第6章「動きの中の知覚」「肌理」と言ったワードが出てきます。消える・出てくる等の動きのデザインがどう重要なのかをエンジニアさんと共有するときに説明しやすいかも。
- 人間は肌理の添加と削除から、まだある、もうない、といった遮蔽や、あるいは発生や消滅といった知覚を提供している
- 隠れ方をキチンとデザインすることは、その存在感やその世界の持続性を感じさせることへ繋がる重要な要素
- 2D+動き=3D 世界は2次元
第7章はいよいよ「じゃあ今からこの先重要になっていく考え方」ってなんぞや、って部分に迫っていきます。 章のあたまに 「情報は実体がない。物質こそリアルで確実なものだ」という価値観は揺らいでいる という一節があるが、Mp3で音楽を買う、オンデマンドでゲームを買うのが一般化し、AppleMusicやAWA、NetflixやHuluというストリーミングサービスの出てきてCDやDVDという実体を持つ安心感は今や過去のものとなりつつあるのは意識低い系を自負するわたしでもわかることなくらいわかることで、「ワンメディア、マルチインターフェイスの時代」というのはすごく納得いく。 テレビがテレビじゃなくなり、電話が電話じゃなくなるのはもうすぐそこにあるっていうことに寂しさとドキドキを感じながら、最終章を読み進めていくと、結構楽しいです。
いかがでしょう。わたしもちょっとだけ意識高くなったかな?ならないね!今年もよろしくお願いします。